2012年6月20日水曜日

個人的無意識の内容があらわれる

日本の社会は西洋などと比較すると、かなり相互依存的なところがありますから、そのへんが多少あいまいでも生きていくことができます。

むしろ、あまり明確な判断を示したりすると評判が悪くなって、生きにくくなります。だから、あまりそういう意識的なものを前面に出さないで生きている人が多い。

ここでユングの考える心の構造を簡単に解説します。自我がある程度の強さをもっている人は、イメージの世界に注目すると、まず個人的無意識の内容があらわれてきます。

それについての長い分析経験を経た後に、それより深い普遍的無意識にイメージを通じて接することになります。そうなると、そのイメージは神話的な内容になってくるし、それにともなう感情体験も深くなってきます。

そのような経過を経ずに、なんらかの条件によって、普遍的無意識の力が強くなって、それが直接的に自我に作用してくると、そうとうな心理的危機におちいり、ときには精神病的な症状を示すことさえあります。

ところが、日本人の中には、西洋的に言えば弱い自我をもち、無意識の深い世界との接触がありながら、周囲の人だちとの微妙なバランスの中に生きている人がいます。

このような人はイメージも普遍的無意識の内容が生じてくるので、非常に深いのですが、それを自我に統合して生きていくということはありません。

ある意味で言うと「柳に風」と生きているわけで、現実生活のほうはなんにも変わらないのです。このような人の場合、周囲の人がおもしろい人だと思いながら、少しずつ迷惑を受けたりしていることがよくあります。

こんな人の場合は、夢の内容はたしかに深いと言えますが、だからと言ってこの人が有能であるとは言いがたいし、夢の分析を通じて変化していくということがあまり期待できないのです。

この点で、日本人がスイスやアメリカに行ったときに、向こうの人からよく誤解され、すごい才能をもった人が来たと思われて、「こういう人こそ分析家になるべきだ」などとほめられる。