2016年2月3日水曜日

財閥系事業体の活力

末廣昭は、この政治権力と官僚機構に依存しつつ「経営請負」を行う特権的経済グループの存在に注目し、これを現代版「サクディナー経済」だと命名した(末廣昭・安田靖編『タイの工業化への挑戦』アジア経済研究所、一九八七年)。サクディナー制とは、全国土を領有する国王が国民にその身分に応じて水田の使用権を下賜し、水田の規模によって位階勲を定めた、タイに伝統的なパトロンとクライアント関係のことである。

現代版サクディナー制のもとで急成長をつづけ、タイ経済発展の中核を占めたのが、五大家族とも十大家族とも呼ばれる財閥である。そのほとんどが華僑・華人系であり、この国の経済に大きなプレゼンスをもつ外資系企業との合弁先も華僑・華人系企業であった。

しかし、これらの財閥の事業展開が本格化したのは、一九六〇年代に入ってからのことであり、その歴史は浅い。それにもかかわらず、タイ国内のみならず東南アジア諸国においても傑出した経営規模を誇る企業にまで成長しえたこれら財閥系事業体の活力には、目をみはらせるものがある。

一九七二年の第三次経済社会開発計画の施行以来、タイでは輸入代替工業化から輸出志向工業化に政策を転換していく試みが、やはり経済官僚テクノクラートの主導のもとでなされた。もっとも、政策体系が転換したからといって、タイの輸出志向工業化が順調に展開したわけではない。

繊維のような輸入代替から輸出志向への成功的な転換例を別にすれば、家電製品、乗用車などがNIES型の輸出志向産業へと変貌していくことは、そう容易ではなかった。タイの本格的な輸出志向工業化は、一九八〇年代後半の円高期に日本企業が大量にここに進出するまでまたなければならなかった。とはいえ、そこにいたるあいだに蓄積されてきた工業力を顧慮せずして、一九八〇年代後半期のこの国の「テイクオフ」はありえなかったであろう。