2014年9月3日水曜日

大学は不死身か

大学はヨーロッパ中世の発明とされるが、ニ一世紀以来二〇世紀末の今日までに原型をとどめたまま存続してきたという意味では、最も強靭な社会制度のひとっであろう。アメリカ大学界の代表的指導者クラークーカーは、「万物は流転し何物も持続しない」というヘラクレイトスの言葉は、「ただしほとんどの大学は存続している」という例外を付さなければならないという。

ヘラクレイトスによれば、一五二〇年までに西洋世界で確立された制度のうちで、二〇世紀の今日までに、基本的機能も変わらず、歴史的な断絶もなしに原型をとどめたまま存続しているものは八五ほど存在するが、このなかにはカトリック教会、マン島、アイスランド、グレイトーブリテソ島の議会、いくつかのスイスの郡、そして七〇の大学があるという。

かつて支配権を振るっていた王権は今や君臨するだけのものとなり、家臣を従えた封建領主、独占権を握るギルドも皆歴史の彼方に消え去ってしまった。しかし大学だけは、今でも創設されたと同じ場所に居すおり、昔ながらの同じ建物が用いられ、教授や学生はおおむね昔と同じようなことを営み、大学の管理の仕方も昔とほとんど変わりのないやり方で行なわれている。

時代や国によって多少のバリエーションはあるにしても、大学の永遠の機能は教育、学術研究、社会サービスないしはそれらとの祖み合わせである。つまり、大学は他の社会制度と比べて最も変化なしに今日まで存続してきた制度だ、というのである。

実際、大学がいかにその原型を継承しているかは、例えば講義や演習といった授業の方式、学年暦、学位授与権、試験の方法、学寮、学部、一定の自治権を持つ教授団……といった、今日の大学の特徴をなすものが、すべて中世の発明であったことからも明らかであろう。書物が高価で入手し難かったその当時には、授業では教授は自分しか持っていない書物や講義録を読み上げ、これを学生が忠実に筆記した。

これが大学の最も一般的な授業形態である講義の始まりなのだが、いくらでも本が出版され、コピーもビデオも通信衛星すら利用できるようになったマルチメディア時代になっても、現代の大学の授業では、教授が重々しくノートを読み上げると学生はひたすらノートをとるという素朴で古めかしい伝統が、後生大事に守られているのである。