2015年6月3日水曜日

自民党新憲法草案と自衛軍創設

それは「周辺事態協力」日米の「役割・任務・能力」における分担)でなされた合意に、「兵力態勢の再編」と「基地の再編」という実体を与えるものであった。一〇月末に日付が集中したのも偶然でない。いずれも、五年余に及んだ小泉劇場政治の、いわば。安保協力版決算リストにあたる。憲法と安保の相克関係が、また振動した。なかでも二九日、日米安保協議委員会で採択された「日米同盟未来のための変革・再編」文書には、自衛隊の変容=従属の深化が、米軍とともに「海外で戦争できる」、「米軍に一体化・融合していく」行動目標として記された。「国際的な安全保障環境の改善-自衛隊および米軍は、国際的な活動における他国との協力を強化する」という一節に、それはあらわれている。

この一〇月の三日間により、自衛隊と憲法、米軍と在日基地、そして自衛隊と米軍のあり方に長期的な転換をもたらす方向が示されたのである。日付を追ってみよう。まず二七日。東京のアメリカ大使館は、「原子力空母ジョージーワシントンを二〇〇八年以降、横須賀米軍基地に配備する」と通告した。手続きからいうと、在日米軍兵力の変更は、日米安保条約の交換公文に「配置における重要な変更は事前協議の対象とする」と明記されている。「海軍の場合は一機動部隊程度」が基準とされ、空母の母港化は日本政府との協議を要する。にもかかわらず事前協議の申し入れはなかった。一片の通告をもって、東京湾に原子力空母(中型原発の出力に相当する馬力)を常駐させる決定がなされたのである。事前協議制度の空文化のみならず、非核三原則(核を持たず・作らず・持ち込ませず)の崩壊にもつながる。

さらに原子力基本法(平和利用と民主・自主・公開原則)にもかかわる重大事が、安全審査や環境評価もされないまま、いとも軽々と扱われた。横須賀市には、原発設置予定の自治体がもつほどの発言権すら与えられなかった。そもそも、一国の首都の港に外国軍隊の最強艦の定係港を認めるなど、植民地以外にはありそうにないことだ。しかるに、政府はそれを抑止力の強化として歓迎さえした。一方、横須賀に司令部を置く第七艦隊にすれば、ジョージーワシントンの横須賀常駐は、海上自衛隊の自衛艦隊とのあいだに密接な関係を築くのに都合のいい環境を得たことになる。「新ガイドライン」には「米軍による自衛隊基地の使用」も規定されていた。周辺事態協力における「役割・任務・能力」の分担が基地行政に及んだことになる。

翌二八日「自民党新憲法草案」が発表された。そこには「自衛軍の創設」と「集団的自衛権行使の容認」が明記されていた。一九九〇年代に進行した自衛隊の海外派兵、憲法と現実の乖離を、最高規範の変更によって最終解決するこころみである。これも日米の「共通戦略目標」と無縁ではない。「草案」から関係部分を拾うと、前文から「国家不戦の決意」が消された。かわって「日本国民は、帰属する国や社会を自ら支え守る責務を共有し……」に書き換えられた。第九条のタイトルが、「戦争の放棄」から「安全保障」に改められた。集団的自衛権行使に向けた布石であると容易に想像つく。

九条二項に「自衛軍保持」や「国際的に協調して行われる活動」への参加を明記した。具体的な内容は、「法律の定めるところによる」とされ、範囲は定かでない。第七六条三項で「軍事裁判所」が新設されることになる。「軍法会議」が復活する。ここでも「内容は、法律の定めるところによる」としている。第二一条「公共の福祉」が「国民の責務、公益、公の秩序」といった表現にかわった。「国防の責務」が地域と民間を覆う。