2015年12月3日木曜日

東アジア低賃金の考察

もともと大型コンピュータの機能があまりに広く高くなりすぎたので、性能が向上したパソコンがその機能の一部を奪い取り、インターネット端末としての黄金時代をきずいた。これが当時ダウンサイジングと言われた。しかし、パソコンの機能もまたあまりに広く高くなりすぎた。簡単な情報を知ったり知らせたりするだけでよい場合には、その機能の大部分は使われず、パソコンは、かつての大型コンピュータと同じく、いちじるしく不経済である。パソコンもまたダウンサイジングの標的とされたと言うべきであろう。
 
アメリカの経済誌ビジネスウイークは、その二〇〇〇年一月一〇日号で、一モード携帯電話を高く評価し、ドコモの荒川実社長を、世界の最もすぐれた経営者二五人の一人として選んだ。インテルの全盛時代が、近く終わる可能性も考えられよう。円高が日本企業を東アジアに押しやった

東アジアの賃金は、日本にくらべて格段に安い。日本貿易振興会(ジェトロ)が一九九五年に調査したところでは、一般工員の月額賃金はシンガポールで八三〇~一一五〇ドル、クアラルンプールが一九〇~二四〇ドル、バンコクが一六〇~三一〇ドル、ジャカルタが一〇〇~二〇〇ドル、マニラが一ハ○~二二〇ドル、上海が六〇~一三〇ドルであった。日本のそれが全国平均で三一一六ドルであるから、この賃金格差が日本の企業にとって、東アジアに進出するモチベーションになっていることは言うまでもない。
 
しかし一九九〇年代に入って、もう一つのさらに強烈なモチベーションが生じた。それは一九九〇年には一五〇円前後と円安に転じていた円レートが、九一年には飛躍し、それからは一本調子に円高となって、九五年にはついに一時七九円台を記録したことである。とりわけ日本の電子機械工業は、アジアへと生産拠点を本格的に移動せざるを得なくなった。

一九九三年度の日本の製造業のアジア向け投資は、前年比一七・九%増、三六億五九〇〇万ドルとなり、前年比〇・七%減、四一億四六〇〇万ドルの北米向け投資額に迫る勢いとなった。中国への投資でも、一九八九年には世界各国の対中総投資額のわずか一二二%であったものが、九三年度には、二「四%へと激増したのであった。