2015年12月3日木曜日

東アジア低賃金の考察

もともと大型コンピュータの機能があまりに広く高くなりすぎたので、性能が向上したパソコンがその機能の一部を奪い取り、インターネット端末としての黄金時代をきずいた。これが当時ダウンサイジングと言われた。しかし、パソコンの機能もまたあまりに広く高くなりすぎた。簡単な情報を知ったり知らせたりするだけでよい場合には、その機能の大部分は使われず、パソコンは、かつての大型コンピュータと同じく、いちじるしく不経済である。パソコンもまたダウンサイジングの標的とされたと言うべきであろう。
 
アメリカの経済誌ビジネスウイークは、その二〇〇〇年一月一〇日号で、一モード携帯電話を高く評価し、ドコモの荒川実社長を、世界の最もすぐれた経営者二五人の一人として選んだ。インテルの全盛時代が、近く終わる可能性も考えられよう。円高が日本企業を東アジアに押しやった

東アジアの賃金は、日本にくらべて格段に安い。日本貿易振興会(ジェトロ)が一九九五年に調査したところでは、一般工員の月額賃金はシンガポールで八三〇~一一五〇ドル、クアラルンプールが一九〇~二四〇ドル、バンコクが一六〇~三一〇ドル、ジャカルタが一〇〇~二〇〇ドル、マニラが一ハ○~二二〇ドル、上海が六〇~一三〇ドルであった。日本のそれが全国平均で三一一六ドルであるから、この賃金格差が日本の企業にとって、東アジアに進出するモチベーションになっていることは言うまでもない。
 
しかし一九九〇年代に入って、もう一つのさらに強烈なモチベーションが生じた。それは一九九〇年には一五〇円前後と円安に転じていた円レートが、九一年には飛躍し、それからは一本調子に円高となって、九五年にはついに一時七九円台を記録したことである。とりわけ日本の電子機械工業は、アジアへと生産拠点を本格的に移動せざるを得なくなった。

一九九三年度の日本の製造業のアジア向け投資は、前年比一七・九%増、三六億五九〇〇万ドルとなり、前年比〇・七%減、四一億四六〇〇万ドルの北米向け投資額に迫る勢いとなった。中国への投資でも、一九八九年には世界各国の対中総投資額のわずか一二二%であったものが、九三年度には、二「四%へと激増したのであった。

2015年11月4日水曜日

金属需要の落ち込み

マツダはロシアへの自動車輸出を本格的に再開した。日本で6月に発売した主力の中型車「アクセラ」の新モデルの販売を、ロシアでこのほど開始。ロシア向け輸出は経済危機を受けて2008年12月に停止したが、今後は継続的に月間1000台程度の輸出を続ける。ロシア経済は資源価格下落の影響で低迷が続いているが、マツダは中長期的には潜在需要が大きいとみている。

マツダはロシア政府による輸入関税の引き上げや景気後退を受け、2008年12月に同国向け輸出を停止した。09年に入ってからも小規模の輸出にとどめていた。17日発売の米経済誌フォーブス・ロシア版で、世界金融危機下でのロシア富豪の衰退ぶりが浮かび上がった。資産10億ドル(約1千億円)以上の富豪数が08年は87人と米国に次ぐ世界第2位まで躍進したが、今年は32人に激減。番付上位100人の資産総額も昨年の5220億ドル(約52兆円)から7割減の1420億ドル(約14兆円)まで下がった。

昨年はロシアの1位で世界でも9位だった「世界のアルミ王」の異名をとるデリパスカ氏。株価急落などで資産は昨年の280億ドルから35億ドルに激減、ロシア国内での順位は10位に、世界では164位に後退した。世界金融危機による金属需要の落ち込みや原油価格下落などが、資源依存型のロシアに深い影響を及ぼしている。

2015年10月3日土曜日

自然のもつ多様多彩な仕組み

今日、共生は、双方が利益を得るかたちの「相利共生」、一方だけが利益を得る「片利共生」、そして「寄生」があり、それぞれの形態内容についても、昆虫や植物、魚類、動物、菌類、さらには腸内共生など、さきの「擬態共生」に至るまで非常に多彩な研究が進められている。しかし、前掲の石川統氏によれば、「異なる生物が共に暮らす」という現象の本質が明らかになるにつれて、最近では、共生の定義がふたたび、A・D・ヘイリーの当初の説に戻りつつあるのだという。

「相利共生」「片利共生」「寄生」「擬態共生」といっても、その間に明確な区別をつけにくい例が自然界には多く存在する。ただ、しかし「異なる生物が共に暮らす」ことが共生の意味だとしても、そのプロセスはきわめて複雑多様であり、すでに見たように、長い期間にわたってのまさに関係を通じて形成された現象であることを忘れてはなるまい。

ともあれ、人間社会に引きつけて共生を考えようとする場合、オプテイミステイックにとらえるか、それともペシミステイツクにとらえるかは、人によってさまざまであろう。しかし、われわれは、生命の歴史がけっして悲劇的な方向をたどってきたのではなく、たとえ環境が生命にとって大きな災害をもたらすように働いたときでさえ、最悪の事態をかわし、うまく適応して活路を見いだし、新しい発展を遂げたという事実に多くを学ぶ必要があろう。

「エコロジカルーオプテイマイゼーション」という言葉には、楽観的という意味とともに効果的に活用するという意味もふくまれている。自然のもつ多様多彩な仕組みを学び、それを効果的に最大限に活用するために総意を結集することが、いまほど必要とされていることはない。本書の主題である「エコパラダイム」も人間社会でいう批判的総合化を目指すものであり、こうした文脈のなかで活用される理念でなければなるまい。

2015年9月3日木曜日

高齢化する日本社会

コンピュータ通信の普及によって、情報を扱う産業は、大きな変革を要求される。流通サービス業は、そのような影響が最も端的に現われる分野の一つだ。多くの企業が、インターネットに新しいビジネスの可能性を見出そうとしている。この分野では、適切な条件が整備されれば、爆発的な進歩があるだろう。

また、ネットワーク化の進展が規制を無意味にする可能性もある。インターネットで国境をこえる取引が増大すると、経済活動に関する国内の規制で無意味になるものも出てくる。これは、従来は規制で守られてきた産業に対して大きな影響を与える可能性がある。日本経済の高コスト構造を変化させるきっかけも、ここに見出せるかもしれない。

つまり、問題は、技術的な可能性の拡大に経済的社会的な要因が対応できるかどうかなのである。変化に対応できれば大きな将来が拓けるだろう。逆に対応ができなければ、日本は世界の潮流に取り残されるだろう。日本がそのどちらに向かうか?これが二一世紀の日本の姿を決めることになる。

将来人口の推計は、さまざまな政策の基礎となる非常に重要なデータである。これから数十年間の日本では、急速な高齢化が進むために、とくに重要な意味をもっている。厚生省の社会保障・人口問題研究所は、一九九七年九月に新しい将来人口推計を発表した。それによると、前回の推計(九二年推計)に比べて、人口高齢化がさらに進むという結果になっている。

六五歳以上人口が全人口に占める比率は、二〇〇六年に二〇%を突破し、二〇一五年に二五・二%、二〇四九年にはピークの三二・三%にまで上昇すると予測されている。推計見直しのポイントは、合計特殊出生率(一人の女性が一生の間に産む子供の数)の見直しである。九二年に行なわれた前回推計では、合計特殊出生率が九四年に一・四九まで下がったあと上昇に転じ、二〇二五年には一・八〇にまで回復するとしていた。しかし実際は九五年に一・四二まで下がり、回復していない。今回の推計では、二〇〇〇年に一・三八まで下がるが、その後は上昇して二〇二五年には一・六一まで回復すると仮定している。

2015年8月4日火曜日

円高不況の克服

図は乗用車のモデル数、販売台数、売上高に占める原材料費の比率、これらの推移を示している。モデル数は八二年から九一年までに約一・七倍、円高不況期以降でみれば約四倍に増加した。しかしモデル数が増加するにつれて一モデルあたりの販売台数は減少し。少し遅れて総販売台数も減少していく。それとともに、売上高原材料費比率も急速に上昇している。原材料費という変動費が増大しただけではない。「国内販売の増強に向けて販売網を拡充したこともコストアップに繋がっている」。ディーラー数、営業所数の増加、広告宣伝費の増大によって販売関連費は八六年から八九年にかけて二・〇%も固定費を押し上げた(三菱銀行『調査』四五五号)。

そして一方では新製品開発のため九・〇%にまで下落した設備投資を増大させているのであるから、これらの結果、資本収益率(ここでは営業利益額/有形固定資産額)も大幅に減少することになる。自動車一〇社の資本収益率は、八一年から八五年までの五年間では、年平均二六・八%であったが、八六年から九〇年までの五年間では、平均一日本企業を強気にさせた金融バブル 自動車産業にみるこうした姿は多かれ少なかれ他産業にもあてはまる。つまり、国内需要掘り起こしのための多品種戦略は、高コスト体質を深めながら、無理をおして展開されたのであった。

しかしこうした「犠牲」においてであるとはいえ、多品種戦略はそれなりに効果を現した。円高不況を境に自動車の販売台数では内需が外需を追い越し、内需主導が定着した。経済全体としても「内需主導型」が一応実現した。また耐久消費財で大型化・高級化が進み、購入単価はとくに八七年以降大きく上昇した。

さらに、多品種化とは異なるME技術等ハイテク技術の利用も新しい市場を創り出した。その代表的な事例は、VTR、ワープロ、ファクシミリ、ビデオカメラなどの、ハイテク機能を駆使したまったく新しい家電製品の登場である。これらの商品は、先の高級品化とは異なり、技術の急速な進歩と量産効果によって価格が低下するにつれて、八〇年代後半に広く普及していった。

だが内需の「再生」が一応果たされたとはいえ、多品種戦略の本来的弱点である高コスト体質がかくも急速に深まるなかで、日本企業はなぜ強気の設備投資を繰り返し、この戦略を推し進めることができたのであろうか。その答えこそ金融バブルにほかならない。

2015年7月3日金曜日

監視下の組合選挙

入社から二年ほどして、組合批判の発言をしたところ、夜勤からはずされてしまった。そればかりでなく、同期に入社した労働者とくらべて、昇給が不当に差別されているので、所属課長に抗議した。「組合に批判的だからといって、昇給で差別するのは、不当労働行為ですよ」課長は、こう答えたのだった。「不当労働行為? 笑わすんじゃないよ。おまえなあ、いまの日産ディーゼルがあるのは、誰のおかげだと思ってるんだ。労働組合のおかげじゃないか。その労働組合に反対する奴の給料が安くったってあたりまえだろう。労働組合のおかげで、会社のいまの発展があるんだからな」嘉山さんの賃金(一九八二年当時)は、つぎのようなものである。

基準賃金のうち、退職金などの算定基準となる基本給が一七パーセント程度しかなく、第二基本給というべき「特別手当」が七三パーセントもの比重を占めているのが、日産型賃金の特徴である。資格手当の基準となる職級は、組合に協力的でなければあがらない。夜勤も会社(組合)に協力的なものの権利である。残業、休出がなければ、彼らのような悲惨ともいえる賃金になる。基本給でさえ査定される。平均一万三〇〇〇円の賃上げのときでも、リンチにくわわったものは、一万七〇〇〇円ほどにハネ上がる。
 
嘉山さんが、公然と組合に反対したのは、一九七四年の賃闘のときからである。このときは妥結額をめぐって、職場に不満がくすぶっていた。それまでは、満額回答で、労使協調のうるわしさがそこなわれることもなかったのだが、前年の暮から、オイルショックとなり、不況に突入していた。反対の挙手をすると、まわりから罵声がとんだ。「てめえ、反対しやかって」「馬鹿やろう、なめるんじゃねえよ」「反対なら、てめえひとりでやってみろよ」彼がはなすのをさえぎって、本当にそういったんですか、とわたしはたずねた。信じられない言葉だからである。彼は、「そうですよ、いつもそうですよ」と軽く答えた。それでも信じられない話である。わたしの知っているトヨタの労働者たちは、もうすこしおとなしかったからである。一定の条件のもとでは、やはり彼らもまたこのような、露悪家になるのだろうか。

何日かたって、彼を除いた職場の同僚たちは残業のあと、「職場を明るくするため」の研修をうけるようになった。「嘉山は赤軍派だから口をきくな」「飯を一緒に食うな」。そんな教育がはじまった。村八分である。それでも、職場からの批判派として、東さんや小宮さんが出現し、三人は連絡をとりあうようになった。職場会で、「質問はありませんか」と組合役貝がおざなりにたずねると、嘉山さんは、「ハイ、ハイ」とまっ先に手をあげ、指名されるまでもなくたちあがってしゃべりだす。労働者たちは、口にだして同調することはないにせよ、職場に帰ってくると、手を振ったり、片目をつぶってみせたりする。不満がたかまっていたので、彼の発言は支持されていたのである。だからこそ、みせしめのためのリンチがはじまったのである。

日産の労務管理を特徴づけているのは、日産労組の存在である。毎年八月末には、第二組合を旗あげした「ゆかりの地」、浅草国際劇場で記念総会がひらかれる。塩路自動車労連会長が演説し、組合長が演説し、社長が挨拶する。八二年の「総会宣言」でも、やはり労使協調が強調された。「日産労組は、二十八年前、他に先がけて労使協議制度をとり入れ、技術革新への対応をはじめ、生産性の問題に取り組み、今日の日産ひいては自動車産業の発展をもたらした……」

2015年6月3日水曜日

自民党新憲法草案と自衛軍創設

それは「周辺事態協力」日米の「役割・任務・能力」における分担)でなされた合意に、「兵力態勢の再編」と「基地の再編」という実体を与えるものであった。一〇月末に日付が集中したのも偶然でない。いずれも、五年余に及んだ小泉劇場政治の、いわば。安保協力版決算リストにあたる。憲法と安保の相克関係が、また振動した。なかでも二九日、日米安保協議委員会で採択された「日米同盟未来のための変革・再編」文書には、自衛隊の変容=従属の深化が、米軍とともに「海外で戦争できる」、「米軍に一体化・融合していく」行動目標として記された。「国際的な安全保障環境の改善-自衛隊および米軍は、国際的な活動における他国との協力を強化する」という一節に、それはあらわれている。

この一〇月の三日間により、自衛隊と憲法、米軍と在日基地、そして自衛隊と米軍のあり方に長期的な転換をもたらす方向が示されたのである。日付を追ってみよう。まず二七日。東京のアメリカ大使館は、「原子力空母ジョージーワシントンを二〇〇八年以降、横須賀米軍基地に配備する」と通告した。手続きからいうと、在日米軍兵力の変更は、日米安保条約の交換公文に「配置における重要な変更は事前協議の対象とする」と明記されている。「海軍の場合は一機動部隊程度」が基準とされ、空母の母港化は日本政府との協議を要する。にもかかわらず事前協議の申し入れはなかった。一片の通告をもって、東京湾に原子力空母(中型原発の出力に相当する馬力)を常駐させる決定がなされたのである。事前協議制度の空文化のみならず、非核三原則(核を持たず・作らず・持ち込ませず)の崩壊にもつながる。

さらに原子力基本法(平和利用と民主・自主・公開原則)にもかかわる重大事が、安全審査や環境評価もされないまま、いとも軽々と扱われた。横須賀市には、原発設置予定の自治体がもつほどの発言権すら与えられなかった。そもそも、一国の首都の港に外国軍隊の最強艦の定係港を認めるなど、植民地以外にはありそうにないことだ。しかるに、政府はそれを抑止力の強化として歓迎さえした。一方、横須賀に司令部を置く第七艦隊にすれば、ジョージーワシントンの横須賀常駐は、海上自衛隊の自衛艦隊とのあいだに密接な関係を築くのに都合のいい環境を得たことになる。「新ガイドライン」には「米軍による自衛隊基地の使用」も規定されていた。周辺事態協力における「役割・任務・能力」の分担が基地行政に及んだことになる。

翌二八日「自民党新憲法草案」が発表された。そこには「自衛軍の創設」と「集団的自衛権行使の容認」が明記されていた。一九九〇年代に進行した自衛隊の海外派兵、憲法と現実の乖離を、最高規範の変更によって最終解決するこころみである。これも日米の「共通戦略目標」と無縁ではない。「草案」から関係部分を拾うと、前文から「国家不戦の決意」が消された。かわって「日本国民は、帰属する国や社会を自ら支え守る責務を共有し……」に書き換えられた。第九条のタイトルが、「戦争の放棄」から「安全保障」に改められた。集団的自衛権行使に向けた布石であると容易に想像つく。

九条二項に「自衛軍保持」や「国際的に協調して行われる活動」への参加を明記した。具体的な内容は、「法律の定めるところによる」とされ、範囲は定かでない。第七六条三項で「軍事裁判所」が新設されることになる。「軍法会議」が復活する。ここでも「内容は、法律の定めるところによる」としている。第二一条「公共の福祉」が「国民の責務、公益、公の秩序」といった表現にかわった。「国防の責務」が地域と民間を覆う。

2015年5月8日金曜日

家庭電子機器市場の拡大

家庭電子機器では、一九九六年にDVDが売り出されて、家庭電子機器市場がさらに膨れ上がるとも見えた。画像では従来のVHSの二倍以上の解像度があるために画像の鮮明さが増し、さらに特定の音声や音楽だけを大きくしたり小さくしたりすることも可能である。しかしDVDは従来のCDやビデオと競合し、それらの市場を奪いはするが、従来の音楽や画像の市場を新しく飛躍的に拡大するほどのものではない。家庭電子機器の市場が拡大するとすれば、情報スーパーハイウェイの端末としてのパソコン、続いて携帯電話の情報端末の普及が、それに最も貢献するのではないか。
 
この年には、電子機械工業全体の生産額が二四兆円をこえて、自動車および輸送機械工業のそれを約一兆円上回った。この前の年、一九九五年には携帯電話などの移動通信の設備投資額が一兆円をこえ、同年の鉄鋼業のそれを抜いた。一九六〇年代までは、鉄鋼業は日本の高度経済成長の推進軸で、「鉄は国家なり」とさえ言われたものだ。経団連の会長も鉄鋼業界から出るのが当然のように思われていた。しかし今は、その鉄鋼業が携帯電話の風下に立つと見えるほど、時代は変わった。その内容は、通信サービス、放送サービス、テレビ・ラジオ・パソコン・携帯電話などの端末機器、テレビやラジオなどの番組、ビデオ・CD用の映画その他のソフト、インターネットを介しての情報処理や商品の売上額等々である。アメリカでは、ゴアの情報スーパーハイウェイの構想に見るように、すでにこのような情報通信産業が経済発展の主軸になっており、そのすべてをコンピュータのネットワークが結合しつつあるが、日本もまたその後を追うことは確かである。

2015年4月3日金曜日

佐敷の山中から決起

察度は、一三五〇年に即位すると、すかさず積年の蛉政を一掃して、国内は大いに治まったという。それから程なくして明の皇帝の来諭に応じて、経済上の思惑から初めて明と交易するようになった。すると南北の二王国も、中山に倣って明朝と交易するようになり、好戦的だった琉球人は平和を好むようになった。この機運に乗じて尚巴志が、佐敷の山中から決起して三山を統一したのだった。

伊波によると、尚巴志にも察度王のように平和的なところがあって、外国の船が鉄塊を積んで与那原港に入港すると、自分の保有していた名剣を売って、鉄塊を買い取り、これで農民たちに農具を造らせたので農民たちが心服するようになったという。こうした点から、彼が同胞の生活を向上させることに配慮していたことがわかるというわけだが、事実、彼は三山を統一すると間もなく、使いを明帝と室町将軍とに遣わし、また南洋や朝鮮との間でも交易を盛んにした。その結果、この時代は、琉球にとって精神的にも物質的にも最も幸福な時代であったであろう、と伊波は推測している。

しかし、尚巴志の死後間もなくして、王朝は、一大激動期を迎える。一四五八年には、「護佐丸の乱」「阿麻和利の乱」と称される戦乱があいついで起こった。それというのも、尚巴志の子孫が政策を誤り、常に被征服者を蔑視し、あらゆる方法をもって奴隷化しだからだという。つまり、被征服者はご武力以外の一切のものを認めようとはしない。つまり心服はしていない。したがって征服者が真に被征服者を征服してしまうために社、さまざまな社会の制度が必要というわけだ。

しかるに尚巴志の子孫は、あらゆる反逆的行為に対して、絶えず兵力を用いて苛酷に弾圧した。武力による弾圧は、彼ち自身に多くの困難をもたらしたほか、費用面でも一大負担をかける結果となった。その結果、尚巴志の死後わずか一五年間に四回も国王が代わったあげく、王位継承をめぐって内乱が起こり、ついに一四六九年に「世替り(革命)」を生む結果となる。要するに尚巴志の子孫は、比類なき武力を誇ったが、経済的基盤が弱く、しかも被征服者をうまく同化することもできずに、勃興してからわずか四〇余年、七代目尚徳の代で滅亡しためである。

こうして伊波は、かつて「つきしろの守り勢高さの真物美影照り渡て国や丸む」と偉大な気風を謳われた尚巴志の尚武的な王朝が、「食呉ゆ者ど我が御主」という安里の大親の「世謡」を合図にたやすく顛覆されてしまったと解説している。このような歴史的背景から、伊波普猷は、世に沖縄ほど食物の欠乏を感じてどれを与えうる治者を憧憬したところは少池かろう、といい、こういう入民が尚徳王のような好戦的な(国王)に愛想をつかしで、世替りを希望したのは無理毛ない。

2015年3月4日水曜日

中間所得層に見合う商品

当社は先進国市場を中心に、何十年も事業展開してきました。高付加価値、高機能、高価格商品を、富裕層向けに売っています。技術力を誇示する製品を開発し、今日の地位を確保してきました。私が社長になって、1年半くらいして、役員会で中国進出を意思決定しました。研究開発拠点は、一部海外にありますが、ほとんど日本で差別化する商品を開発してきました。これからは、新興国市場が世界を牽引します。GDPが年2~3%という低い成長率の先進国に対し、中国は約10%、インドも中国に次ぐ成長率か見込まれています。ブラジルでは、ワールドカップ、オリンピックが予定されています。そのため、官民一体となった大型プロジェクト物件が増えています。また、経済発展に伴い、中間所得層が増えることでボリュームゾーンの販売が拡大し、世界を牽引していくでしょう。だからこそ、新興国市場を攻めるのです。ボリュームゾーンに焦点を合わせるのです。

あらゆる業種が「新興国」と「環境」で事業を発展させようとしています。当社は遅まきながらブラジルに出て、トルコ、インドネシアも視野に入れています。この辺りでは、高級機、高機能、高付加価値、高いコストで売るビジネスは絶対に成立しません。新興国の時代が来たのです。中間所得層に見合う商品を常に開発し、ボリュームゾーンで稼ぐためにどうしたらいいかを考えています。簡単に新興国、アジアと言いますが、開発拠点をどうするかという問題もあります。アジア、新興国といっても、シンガポール、韓国、台湾から、ミャンマー、カンボジアまであります。シンガポールは人口470万人、中国は13億人、インドは10億人。習慣、歴史、生活様式が違います。その人たちに、カスタマー・イン、好みの商品をローコストで作っていきます。

そうしないと絶対に勝てません。当社が一番、避けてきた苦手な世界なのです。しかし、韓国のサムスンはすでに実行しています。サムスンでは、韓国人社員が中心となって、皆で現地に行き、現地の人材を活用しながら、その市場で求められるものを開発、販売しています。特に新興国での事業拡大のために、その地域の文化・習慣を身にっけるまで理解させる「地域専門家」を育成しています。新興国の国別’地域別商品こそ、マーケティング機能、開発機能を、これまで以上に「現地最寄り化」していくことが必要です。

2015年2月4日水曜日

福祉切り下げは必至

少子化・高齢化は、大勢として明治以来の日本の近代化、工業化、そして特に戦後の高度成長による欧米先進国をも凌駕する所得水準の向上によってもたらされたものである。この実績、成果を逆戻りさせることはできない。

特に高齢化は人類の夢であり、それ自体は他のどの国もなしえなかった日本の誇るべきことである。「もっと早く死ぬように」という政策など、考えられるわけがなかろう。

少子化もまた、戦前の富国強兵策並みに「産めよ、増やせよ」と政府の掛け声で逆転させるような事柄ではない。いかに掛け声をかけても、また手厚い児童手当を支給したりしても、平均の産児数が二人を超えて三人へと回復していく可能性は少ないだろう。

個々人の立場でいえば、子どもを何人産むかは他からとやかくいわれる筋合いではない。「人口が減って何か悪いか」と開き直ることだってできよう。

ただ、「人口半減」の日本は、宅地も道路も公園も一人当たりでは二倍になって、過密化や住宅難のない住みやすい国になるなどと、のどかに考えられる状態では決してない。

半減した日本の人口の構成を考えると、「広くなった日本」のばら色はあせてしまう。よくいわれる「働き手二人で一人のお年寄りを支える」という高齢者の重圧は、確かに現実のものとなるだろう。あるいはもう少し深刻な状態にまで進むかもしれない。

そうした状況への対応として容易に想像しうるのは、「福祉水準の切り下げ」である。つまり、税金と社会保険料を合わせたいわゆる国民負担率が、現在の約三七パーセントを大きく上回り、五〇パ-セント、六〇パーセントへと上かっていくことは、その負担の集中する生産年齢層には耐えられまい。

勤労意欲を殺ぐなどの副作用もともなう。国民経済全体にとっては、貯蓄・投資水準の激減など、より大きな困難をもたらす恐れがあろう。そもそもそうした増税は、政治的にまず不可能であろう。

であれば、所得保障(年金)と医療補助を中心とする高齢者のための社会保障水準を引き下げる以外にはなかろう。財政運営上は他の支出から社会保障費への振り替えが考えられる。

防衛費を削る、役人の数を減らすというのも選択肢としてはありえよう。しかし、防衛費をたとえゼロにしても、現在の高齢者向き社会保障制度を負担増なしにこの先半世紀に向け維持することは困難だろう。

「高齢者」と呼んで公的に扶助する年齢層を「六十五歳以上」ではなく「七十歳以上」へと後退させることを含め、二十~三十年かけて徐々に「切り下げ」を進めていかざるを得まい。

2015年1月7日水曜日

自治体と企業に向けられる協カヘの圧力

アメリカ側か、周辺事態協力に自衛隊の船舶検査活動を強く求める理由は、「テロとの戦い」において国連海洋法を超越した不審船の洋上阻止PSI(Proliferation Security Initiative 「拡散に対する安全保障構想」)を実行する機会とみなしているからである。船舶検査活動には、周辺事態・船舶検査活動・PSIを一体化させるねらいが与えられている。念頭に「PSIを北朝鮮船舶に適用」ということが描かれているのはまちがいない。大量破壊兵器の拡散防止が緊急課題であるにせよ、一方、国際法の原則である「海洋自由原則」を無視して、アメリカ主導のもと、第三国船舶を「大量破壊兵器」「関連物資」「関連技術」輸送などの容疑で自由に臨検=乗船検査することは、「単独行動主義」が海洋秩序の根幹を破壊する行為の容認とみなされかねず、国際社会は全面合意していない。

しかし、船舶検査活動法が制定されると、海上自衛隊は、周辺事態における主要な訓練事項として毎年の「海上自衛隊演習」に組み込むようになるまた二〇〇四年、アジアではじめて日本が主催したPSI合同訓練「チームーサムライ」には、海上保安庁とともに海上自衛隊艦艇も「調査・研究」の名目で参加した。二〇〇五年シンガポールで行われた東南アジア規模の訓練にも護衛艦「しらね」とP‐3C哨戒機二機が派遣されている。中国と韓国は、どちらの訓練も参加を見送った。「船舶検査活動法」の成立により、「周辺事態法」につづき、二つ目の「ガイドライン関連法」が整備されたことになる。

周辺事態法は、日本の国外に自衛隊の活動領域を広げたばかりではない。国内に向かっても「地域と企業」に対して安保特例法にもとづく規制と制限を持ちこんだ。その第九条は、「関係行政機関の長は、法令及び基本計画に従い、地方公共団体の長に対し、その有する権限の行使について必要な協力を求めることができる」と定める。関係行政機関の長とは、防衛庁など内閣の主務大臣を指す。同じく第九条二項には、「前項に定めるもののほか、関係行政機関の長は、法令及び基本計画に従い、国以外の者に対し、必要な協力を依頼することができる」と国以外の者、すなわち民間企業への協力依頼ができることも規定している。

この条文は、新ガイドラインにあった「地方公共団体が有する権限及び能力並びに民間が有する能力を適切に活用」する、という内容を実行にうっすための条文である。これが「有事法制」制定へのはじまりとなった。政府が、全国の自治体に送った内閣安全保障・危機管理室、防衛庁、外務省連名になる文書「周辺事態安全確保法第九条(地方公共団体・民間の協力)の解説」(二〇〇〇年七月二五日付)によると、次のような協力事項があげられている。地方公共団体の長に求める協力項目の例では、地方公共団体の管理する港湾施設の使用、地方公共団体の管理する空港施設の使用、人員および物資の輸送に関する地方公共団体の協力、地方公共団体の有する物品の貸与等(通信機、事務機器、公民館、体育館等の施設)公立医療機関への患者の受け入れなど。

また第二項関係-民間に対して依頼する項目の例では、人員、食料品、医薬品等を米軍や自衛隊の施設・区域と港湾・空港の間で輸送すること、傷病者采軍、自衛隊、避難民、救出された邦人等)を病院まで搬送すること、米軍や自衛隊の廃油、医療関連の廃棄物について関係事業者の処理に係る協力、民間企業の有する倉庫や土地の一時的な貸与などが協力項目例とされている。「解説」文書は、これらの協力が強制されるものでないといいつつ、「権限を適切に行使することが期待される」「(政府が)調整を行なうことはあり得る」などと上意下達の可能性をにじませている。これら「地域と職場」の動員につながる協力要請に加え、国民の目と耳をふさぐ措置も打ち出されていた。