2015年8月4日火曜日

円高不況の克服

図は乗用車のモデル数、販売台数、売上高に占める原材料費の比率、これらの推移を示している。モデル数は八二年から九一年までに約一・七倍、円高不況期以降でみれば約四倍に増加した。しかしモデル数が増加するにつれて一モデルあたりの販売台数は減少し。少し遅れて総販売台数も減少していく。それとともに、売上高原材料費比率も急速に上昇している。原材料費という変動費が増大しただけではない。「国内販売の増強に向けて販売網を拡充したこともコストアップに繋がっている」。ディーラー数、営業所数の増加、広告宣伝費の増大によって販売関連費は八六年から八九年にかけて二・〇%も固定費を押し上げた(三菱銀行『調査』四五五号)。

そして一方では新製品開発のため九・〇%にまで下落した設備投資を増大させているのであるから、これらの結果、資本収益率(ここでは営業利益額/有形固定資産額)も大幅に減少することになる。自動車一〇社の資本収益率は、八一年から八五年までの五年間では、年平均二六・八%であったが、八六年から九〇年までの五年間では、平均一日本企業を強気にさせた金融バブル 自動車産業にみるこうした姿は多かれ少なかれ他産業にもあてはまる。つまり、国内需要掘り起こしのための多品種戦略は、高コスト体質を深めながら、無理をおして展開されたのであった。

しかしこうした「犠牲」においてであるとはいえ、多品種戦略はそれなりに効果を現した。円高不況を境に自動車の販売台数では内需が外需を追い越し、内需主導が定着した。経済全体としても「内需主導型」が一応実現した。また耐久消費財で大型化・高級化が進み、購入単価はとくに八七年以降大きく上昇した。

さらに、多品種化とは異なるME技術等ハイテク技術の利用も新しい市場を創り出した。その代表的な事例は、VTR、ワープロ、ファクシミリ、ビデオカメラなどの、ハイテク機能を駆使したまったく新しい家電製品の登場である。これらの商品は、先の高級品化とは異なり、技術の急速な進歩と量産効果によって価格が低下するにつれて、八〇年代後半に広く普及していった。

だが内需の「再生」が一応果たされたとはいえ、多品種戦略の本来的弱点である高コスト体質がかくも急速に深まるなかで、日本企業はなぜ強気の設備投資を繰り返し、この戦略を推し進めることができたのであろうか。その答えこそ金融バブルにほかならない。