2013年8月28日水曜日

沖縄に住む資格はない

客が入らなきゃつまらない。こんな退屈なところに住むのはバカバカしいと、本土に帰る人や那覇に再移住する人があとを絶たず、いまや「リトル東京」は櫛の歯が欠けたように無人の家があちこちにできている。「移住」というのは一ヵ月や二ヵ月の単位ではない。平均寿命八〇歳とすれば、二〇年間を彼の地で過ごすことである。「海と夕陽」は二〇年も癒しつづけてはくれない。地域社会に溶け込もうとしない人に移住する資格はあるか。沖縄に移り住もうという人たちは、都会の喧噪やしがらみを離れて、のんびりと大自然の中で過ごしたいと思っているはずだ。だからだろう、移り住んでも、地元の人たちと交わろうなんて気はさらさら起こらないらしい。

石垣島でヤクザらしい男が愛人をつれて引っ越してきたが、半年も住んでいながら誰も顔をまともに見たことがなかったという話も聞いた。本土から移り住もうという人たちの心境は、彼らとそれほど変わらないに違いない。しかし、地元の住民にとって、これほど不気味で迷惑な話はない。最果ての地に住むなら別だが、先に人が住まうところに居を構えるなら、とりあえず先住者の習慣や文化を受け容れることが相手に対する礼儀だろう。ところが、辺境の地に、東京のマンションにでも住んでいる感覚を持ち込み、「移住」と称しながら、われ関せずとばかりに地元の人たちを避ける輩が少なからずいる。

たとえば石垣島に公民館があるが、これは本土の公民館とまったく違う。沖縄では貧しかったがゆえに集落の結束力が強いが、とりわけ八重山のような離島は、本島よりもさらに恵まれなかったから地域の結びつきが濃厚だ。そして地域全体として取り組む行事、たとえば祭りなどの儀式は公民館を中心として行われる。だから、地元の人たちが公民館活動に参加することは義務でもある。と、あらためて言うまでもなく、昔からそれが当然だった。この公民館活動をまとめるのが公民館長だ。地域社会の中心となって動くという意味で、その集落の村長のような存在である。たとえば、九九年に石垣島の吉原地区に移住してマンゴーなどを栽培している川上博久さんは、本土からの移住者でありながら、現在は吉原公民館の館長をされている。よほど地元に信頼されているのだろう。

川上さんによれば、吉原地区ではここ三、四年で二〇〇区画が売り出されて完売したという。現在は五〇世帯ほど暮らしているが、トラブルというほどでもないにしろ、先住者と移住者の間で気まずい関係が生まれつつあるという。「移住者には身勝手な人もいます。公民館は台風のときの避難先でもあり、この土地では欠かせない存在です。公民館を維持するために年会費を一万二〇〇〇円徴収していますが、移住者には『加入してもメリットない』『自分一人で生きていける』『頭を下げるのがイヤでここに来たのに、なぜ他人にお願いごとをしなくてはならないのか』などと言って、支払いを拒否する人がいるのです。今の移住者は、伊豆半島の延長線上に石垣を見ているのではないでしょうか。ここは本土とは違うのです。住環境も決して豊かではありません。それがわからない人には、もう来て欲しくないという気持ちです」

ちなみに彼らは、うるさく言うなら移住者だけで自治会をつくるぞと、別個に自治会をつくってしまったそうである。昔のように「ナイチャー帰れ」と言わなくなったのは、都市景観だけでなく、住民の意識もヤマト化が進んできたからだろうが、とは言っても、固有の文化を発展させてきた沖縄が、簡単に骨の髄までヤマト化するとは思えない。地域社会に溶け込もうとしない「ナイチャー」に拒絶反応を示すだろうし、そうなれば互いに気まずいだけだ。ナイチャーが地域社会と隔絶して独自に自治会をつくるのは、島人にとって米軍が沖縄に基地をつくるようなものだ。他人の土地にずかずかやってきて、フェンスを張って隔離社会をつくる。基地に住む兵士と、マンションに住む感覚でやってきた移住者にどれはどの違いがあるのだろう。そんな単純なことに気づかない移住者は、沖縄に住む資格はないのだと思う。