2013年11月5日火曜日

観光政策における決断

ネパールのようにポーターを生業とするシェルパがいないブータンでは、政府が農民を徴集し、なんとか解決した。徴集は、「ウラ」と呼ばれる伝統的な納税形態が適用され、合法的ではあった。しかし登山時期と秋の農繁期が重なるため、動員された農民は本来の生業である農作業ができなくなるという事態が生じた。国会でこの件が論議されたが、政府としては登山活動から生ずる外貨収入の重要性はないがしろにできず、ネパールから外国人季節労働者としてシェルパを雇い入れる案も検討されたが、決着がつかなかった。そこでしびれを切らした農民たちは国王に直訴した。その文言はいかにも農民らしく。

「仕事もない人たちの仕事のために、わたしたちは白分たちの仕事ができません」登山家にとっては、登山を「仕事もない人たちの仕事」と言われることは承服できないであろうが、農民にとっては農作業ができなくなったことは事実である。国王は即座に、農民を登山隊のポーターとして徴集することを禁じたために、以後登山隊の受け入れは実質上不可能となった。また、ブータン人の古来の信仰では、雪山は神聖にして冒すべからざる神々の座であり、登山はある意味で神々にたいする冒涜行為以外の何ものでもなかった。そうしたことも考慮した上で、国会は登山永久禁止条例を発令したため、ブータンの七〇〇〇メートル級の山々は、世界でも例外的に、現在に至るまで未踏処女峰のままである。

ほぼ同じ頃に、やはり観光に関連して、外国人観光客の僧院・寺院への立ち入りを許すかどうか、そして仏像・仏画の写真撮影を許すかどうかが問題となった。さきで述べたように、ブータン人にとって僧院・寺院は、僧侶にとっては修行の場であり、信者にとっては礼拝の場であり、仏像・仏画は、信仰の対象である。自明のことといえばそれまでであるが、同時にそれらはすべてブータンの最大の観光資源の一つであり、その見学・写真撮影は外国人観光客にとってはブータンの最大の魅力であることも事実である。この両者の立場の違いから、当然の結果として軋蝶が生じた。

観光局としては、ブータン観光最大の魅力、資源を利用することが禁じられれば手痛い打撃であり、部分的にせよ、何らかの形で見物・撮影が許可されるよう試み、様々な折衷案と措置が採られたが、政府の最終決断は、またしても全面禁止であった。外国人観光客は、ごく一部の、僧侶が居住せず、法要などがほとんど行われない寺院に限って、その境内に入ることが許可されたが、堂内はいっさい許されなかった。観光客が見物して、写真撮影できるのは建物の外観とお祭りだけとなった。この措置により、村びとたちは外国人観光客に邪魔されることなく、従来通りにお寺にお参りし、お祈りし、法要を営むことができるようになった。

ところが、こうした従来通りの伝統的な信仰形態が生きている仏教の姿が、外国人観光客にとっては、他の多くの形骸化した仏教圏にはない魅力として、ブータンをますますエキゾチックで魅力的な観光地としているのは、逆説的な結果である。観光に限らず、他のあらゆる面でも、国民の福祉・利益の最優先がブータンの近代化政策の基本である。教育と医療が原則的に全面無料という、発展途上国はもとより先進国でも例外的な制度が、現在でも維持されていることが、それを象徴しているであろう。