2012年6月20日水曜日

カウンセリングの原則

どこまでが浅く、どこからが深いかということは、はっきりした境界線があるわけではありませんから、私たちはつねにそういう迷いの中にあるとも言えます。

最低限の条件として、原則をきっちりわきまえていなければならないし、できる限り原則の中でやっているわけですが、ときとして、ここははずしたほうがいいかなという場合もある。その判断は非常にむずかしいものです。

クライエントの中には、「自分がこう言ったら、先生はお金を貸してくれるはずだ」と思っている人もいます。しかし、私だちとしては、そのような期待に沿うわけにはいきません。そういうことで、私自身、非常につらい思いをした経験があります。

クライエントの話があまり悲しい内容だったので、帰宅してから、その人に、「あなたのお話をただ聴いているだけでなにもできませんでしたが、それが私には非常につらかった。しかし、頑張って生きてください」というようなことを手紙に書こうとしました。

私の手紙を書こうとしているという気持ちは、不思議に相手も気づいていて、その人は、帰ってから郵便受けばかり見にいっていました。

ところが、私は手紙を書きたい気持ちをぐっと抑えて、書くのをやめました。カウンセリングの原則からいっても、そういう手紙はできるだけ書いてはいけないと思ったのです。

ところが、このときに、偶然とは思えないようなことが起こりました。その人が郵便受けをいつも見にいっていたけど、まったく手紙が来ていませんから、「なんだ、河合もわかったような顔しているけど、ほんとうに同情してくれているわけじゃないんだ」と思って悲観しているところに、昔の同級生がひょっこり訪ねてきたのです。それで、その同級生といろいろ話しあって、しだいに友情を深めていきました。