2012年6月20日水曜日

自分が山を乗り越えようとしていることに気づいていない場合が多い。

高校生のクライエントがミュージシャンのなんとかが好きだと言ったからといって、それを私たちが彼らのように「おっかけ」までやって全部聴いていたら、たまったものではありません。

たとえば、「太宰治が好きだ」と言うクライエントの心情に共感しようと思ったら、その人に「太宰のどんなところが好きですか」と聞けばいいわけです。それだけでも、共感の限界をかなりふくらませることはできます。

もちろん、むずかしいクライエントの場合、その程度ではとても追いつきませんから、そのCDを買いこんできて聴いてみることも必要です。私は、むずかしい場合はそうしています。

それで、次の面接のとき、「あなたが言っていたミュージシャンのCDを聴いたけど、ちっともおもしろくなかったよ」などと言うと、「なに言ってるんですか、先生」と、そのおもしろさについて、とうとうと教えてくれます。

そうすると、「ああ、この子はこんなことに感心しているのだ」ということで、その子の考えや生き方などがわかって、こちらの共感がさらに進んでいきます。

あるとき、「私の心境は太宰の『人間失格』です」と言った人がいました。ところが、同じ日に別の人が来て、「私は『人間失格』がすごく好きです」と言う。こういうことがよくあります。個人的には関係ない複数の人が、三島の『金閣寺』に感動したとか、同じようなことを言ったりします。

それだけ重なるからには、そこになにかしらのメッセージがあるはずですから、そういうときはどんなに忙しくても、必ず読んでみます。

どんなに資質があっても限界は誰でも感じるものですし、それを破るのは、やはり努力です。よくクライエントから、「あの先生はぽくのことをわかってない。どうしたらいいですか」というような相談を受けることがありますが、カウンセラーが自分のことを共感してくれないと思ったときには、そのことをきちんと言ったほうがいい。

ただ、クライエントがそう思うときには、また別の意味もあって、自分が一つの山を乗り越えるのが苦しいときには、ほとんどの人がそう思います。

それは、相手のせいにするというより、自分が山を乗り越えようとしていることに気づいていない場合が多い。しかし、実際に苦しいから、それを、「どうも先生はわかっていないらしい」とか、「どうもこのごろ熱心でなくなったようだ」とか、そういうふうに感じてしまうわけです。

だから、クライエントは、そう思ったときにはカウンセラーにそのことを言ってみればいい。そうすれば相手からも答えがあって、それでお互いの距離が縮まってきます。