2012年6月20日水曜日

「コミット」とはなにか?

川寄克哲さんは学習院大学で助教授として教鞭をとるかたわら、夢分析などによるカウンセリングをされておられますが、「コミット」の意味についてのご質問を受けました。

「カウンセリングに関して『コミット』という言葉はとても重要なものと思いますし、実際、われわれはこの言葉をよく使うと思います。

ところが、『コミットとはなんですか』と聞かれるとなかなかうまく答えられません。『クライエントさんにコミットする』という場合、これは単にクライエントに対して熱意をもって治療者が頑張るというものではないでしょう。

私としては、たとえば、クライエントが夢を見るレベルに対して、同様に治療者も自身が夢を見るようなレベルでそこにかかわっていくことといった印象をもっています。

つまり、カウンセラーからクライエントへという単純な横軸ではなく、クライエント自身が有する内的なものという縦軸に対して、カウンセラーも同様の縦軸をもってそれを重ねあわせていくというようなイメージを私はもっているのですが、あまり、うまくない表現だなあと感じます。河合先生、コミットとはなんでしょうか」

「コミット」とは一般的には「ゆだねる」とか「かかわっていく」とか訳していますが、この言葉の本来の意味は、アメリカの友だちから聞いたところによると、いまはポジティブに使われているけれど昔はネガティブな意味だったということです。

キリスト教文化圏では、神というのは絶対の存在です。だから、みんな神の言うとおりに生きていたらいい、人間が下手にコミットするとろくなことはないというのが本来の意味のようです。

たとえば、commit suicideと言えば「自殺する」ですし、commit ulteryと言えば「不倫する」ことで、commit a crimeは「罪を犯す」こと……どれもいい意味ではありません。

ようするに、神の意からはずれた人がおかしなことをするのがコミットで、したがって本来はマイナスのイメージだった。

ところが、近代以降、人間の自我が強くなり、神と離れていったときに、人間はもっといろいろなことに自分からコミットしていかなくてはならないのではないかという考え方が出てきて、しだいにプラスのイメージに変わっていったというわけです。