2014年7月16日水曜日

日本の政党・議会の特殊性

十年たって、両国の立場はちょうど逆転した。アメリカの一部の知識人やプレスがここぞとばかり「日本的」なるものをたたくのも、十年前の彼等の屈辱を思えば多少の納得がいくかもしれない。エンパイアー・ステードービルやロックフェラー・センターまで日本勢に買いまくられ、アメリカはいったいどうなるのだろうと思っただろうから。そして、いまやアメリカの投資家が日本を買おうと虎視たんたんと狙っているのである。

しかし、おそらくそれより大きな理由は外国人(実は多くの日本人も同様なのだが)の日本の政党や議会のあり方に対する無理解であろう。実は、日本の政党は欧米のそれに比べて極めて特徴的な性格をもっている。すなわち、政策決定へのかかわり方について、日本の政党ほど強い力をもっている政党は他に例がないのである。

例えば、アメリカの政党組織は極めて地方分権的で、党として中央政府の政策決定にかかわることはほとんどない。全国レベルでは党の全国委員長というポストがあるが、これは選挙の調整をもっぱら行う役職であり、たいして重いポストでもなく、政策に関する影響力は全くないと言っていい。

英・独・仏もそれぞれ異なる政党システムをもっているが、政権政党が政党として(もちろん政党の主要メンバーが政府入りし、政府で権力を行使することは当然である)政策決定に関与する度合いは日本に比べ格段に少ない。こうした制度的背景から、日本における党と政府の使い分けは外国人には理解しがたいものであり、これが政府が無責任であるという誤解を生む原因の一つになっている。

これと似たような話ではあるが、日本の国会の慣習についてもこれが他国と異なり、かつ外国人(および多くの直接国会とかかわりのない日本人)に知られていないことから、同じような誤解が生まれている。