家庭電子機器では、一九九六年にDVDが売り出されて、家庭電子機器市場がさらに膨れ上がるとも見えた。画像では従来のVHSの二倍以上の解像度があるために画像の鮮明さが増し、さらに特定の音声や音楽だけを大きくしたり小さくしたりすることも可能である。しかしDVDは従来のCDやビデオと競合し、それらの市場を奪いはするが、従来の音楽や画像の市場を新しく飛躍的に拡大するほどのものではない。家庭電子機器の市場が拡大するとすれば、情報スーパーハイウェイの端末としてのパソコン、続いて携帯電話の情報端末の普及が、それに最も貢献するのではないか。
この年には、電子機械工業全体の生産額が二四兆円をこえて、自動車および輸送機械工業のそれを約一兆円上回った。この前の年、一九九五年には携帯電話などの移動通信の設備投資額が一兆円をこえ、同年の鉄鋼業のそれを抜いた。一九六〇年代までは、鉄鋼業は日本の高度経済成長の推進軸で、「鉄は国家なり」とさえ言われたものだ。経団連の会長も鉄鋼業界から出るのが当然のように思われていた。しかし今は、その鉄鋼業が携帯電話の風下に立つと見えるほど、時代は変わった。その内容は、通信サービス、放送サービス、テレビ・ラジオ・パソコン・携帯電話などの端末機器、テレビやラジオなどの番組、ビデオ・CD用の映画その他のソフト、インターネットを介しての情報処理や商品の売上額等々である。アメリカでは、ゴアの情報スーパーハイウェイの構想に見るように、すでにこのような情報通信産業が経済発展の主軸になっており、そのすべてをコンピュータのネットワークが結合しつつあるが、日本もまたその後を追うことは確かである。
2015年5月8日金曜日
2015年4月3日金曜日
佐敷の山中から決起
察度は、一三五〇年に即位すると、すかさず積年の蛉政を一掃して、国内は大いに治まったという。それから程なくして明の皇帝の来諭に応じて、経済上の思惑から初めて明と交易するようになった。すると南北の二王国も、中山に倣って明朝と交易するようになり、好戦的だった琉球人は平和を好むようになった。この機運に乗じて尚巴志が、佐敷の山中から決起して三山を統一したのだった。
伊波によると、尚巴志にも察度王のように平和的なところがあって、外国の船が鉄塊を積んで与那原港に入港すると、自分の保有していた名剣を売って、鉄塊を買い取り、これで農民たちに農具を造らせたので農民たちが心服するようになったという。こうした点から、彼が同胞の生活を向上させることに配慮していたことがわかるというわけだが、事実、彼は三山を統一すると間もなく、使いを明帝と室町将軍とに遣わし、また南洋や朝鮮との間でも交易を盛んにした。その結果、この時代は、琉球にとって精神的にも物質的にも最も幸福な時代であったであろう、と伊波は推測している。
しかし、尚巴志の死後間もなくして、王朝は、一大激動期を迎える。一四五八年には、「護佐丸の乱」「阿麻和利の乱」と称される戦乱があいついで起こった。それというのも、尚巴志の子孫が政策を誤り、常に被征服者を蔑視し、あらゆる方法をもって奴隷化しだからだという。つまり、被征服者はご武力以外の一切のものを認めようとはしない。つまり心服はしていない。したがって征服者が真に被征服者を征服してしまうために社、さまざまな社会の制度が必要というわけだ。
しかるに尚巴志の子孫は、あらゆる反逆的行為に対して、絶えず兵力を用いて苛酷に弾圧した。武力による弾圧は、彼ち自身に多くの困難をもたらしたほか、費用面でも一大負担をかける結果となった。その結果、尚巴志の死後わずか一五年間に四回も国王が代わったあげく、王位継承をめぐって内乱が起こり、ついに一四六九年に「世替り(革命)」を生む結果となる。要するに尚巴志の子孫は、比類なき武力を誇ったが、経済的基盤が弱く、しかも被征服者をうまく同化することもできずに、勃興してからわずか四〇余年、七代目尚徳の代で滅亡しためである。
こうして伊波は、かつて「つきしろの守り勢高さの真物美影照り渡て国や丸む」と偉大な気風を謳われた尚巴志の尚武的な王朝が、「食呉ゆ者ど我が御主」という安里の大親の「世謡」を合図にたやすく顛覆されてしまったと解説している。このような歴史的背景から、伊波普猷は、世に沖縄ほど食物の欠乏を感じてどれを与えうる治者を憧憬したところは少池かろう、といい、こういう入民が尚徳王のような好戦的な(国王)に愛想をつかしで、世替りを希望したのは無理毛ない。
伊波によると、尚巴志にも察度王のように平和的なところがあって、外国の船が鉄塊を積んで与那原港に入港すると、自分の保有していた名剣を売って、鉄塊を買い取り、これで農民たちに農具を造らせたので農民たちが心服するようになったという。こうした点から、彼が同胞の生活を向上させることに配慮していたことがわかるというわけだが、事実、彼は三山を統一すると間もなく、使いを明帝と室町将軍とに遣わし、また南洋や朝鮮との間でも交易を盛んにした。その結果、この時代は、琉球にとって精神的にも物質的にも最も幸福な時代であったであろう、と伊波は推測している。
しかし、尚巴志の死後間もなくして、王朝は、一大激動期を迎える。一四五八年には、「護佐丸の乱」「阿麻和利の乱」と称される戦乱があいついで起こった。それというのも、尚巴志の子孫が政策を誤り、常に被征服者を蔑視し、あらゆる方法をもって奴隷化しだからだという。つまり、被征服者はご武力以外の一切のものを認めようとはしない。つまり心服はしていない。したがって征服者が真に被征服者を征服してしまうために社、さまざまな社会の制度が必要というわけだ。
しかるに尚巴志の子孫は、あらゆる反逆的行為に対して、絶えず兵力を用いて苛酷に弾圧した。武力による弾圧は、彼ち自身に多くの困難をもたらしたほか、費用面でも一大負担をかける結果となった。その結果、尚巴志の死後わずか一五年間に四回も国王が代わったあげく、王位継承をめぐって内乱が起こり、ついに一四六九年に「世替り(革命)」を生む結果となる。要するに尚巴志の子孫は、比類なき武力を誇ったが、経済的基盤が弱く、しかも被征服者をうまく同化することもできずに、勃興してからわずか四〇余年、七代目尚徳の代で滅亡しためである。
こうして伊波は、かつて「つきしろの守り勢高さの真物美影照り渡て国や丸む」と偉大な気風を謳われた尚巴志の尚武的な王朝が、「食呉ゆ者ど我が御主」という安里の大親の「世謡」を合図にたやすく顛覆されてしまったと解説している。このような歴史的背景から、伊波普猷は、世に沖縄ほど食物の欠乏を感じてどれを与えうる治者を憧憬したところは少池かろう、といい、こういう入民が尚徳王のような好戦的な(国王)に愛想をつかしで、世替りを希望したのは無理毛ない。
2015年3月4日水曜日
中間所得層に見合う商品
当社は先進国市場を中心に、何十年も事業展開してきました。高付加価値、高機能、高価格商品を、富裕層向けに売っています。技術力を誇示する製品を開発し、今日の地位を確保してきました。私が社長になって、1年半くらいして、役員会で中国進出を意思決定しました。研究開発拠点は、一部海外にありますが、ほとんど日本で差別化する商品を開発してきました。これからは、新興国市場が世界を牽引します。GDPが年2~3%という低い成長率の先進国に対し、中国は約10%、インドも中国に次ぐ成長率か見込まれています。ブラジルでは、ワールドカップ、オリンピックが予定されています。そのため、官民一体となった大型プロジェクト物件が増えています。また、経済発展に伴い、中間所得層が増えることでボリュームゾーンの販売が拡大し、世界を牽引していくでしょう。だからこそ、新興国市場を攻めるのです。ボリュームゾーンに焦点を合わせるのです。
あらゆる業種が「新興国」と「環境」で事業を発展させようとしています。当社は遅まきながらブラジルに出て、トルコ、インドネシアも視野に入れています。この辺りでは、高級機、高機能、高付加価値、高いコストで売るビジネスは絶対に成立しません。新興国の時代が来たのです。中間所得層に見合う商品を常に開発し、ボリュームゾーンで稼ぐためにどうしたらいいかを考えています。簡単に新興国、アジアと言いますが、開発拠点をどうするかという問題もあります。アジア、新興国といっても、シンガポール、韓国、台湾から、ミャンマー、カンボジアまであります。シンガポールは人口470万人、中国は13億人、インドは10億人。習慣、歴史、生活様式が違います。その人たちに、カスタマー・イン、好みの商品をローコストで作っていきます。
そうしないと絶対に勝てません。当社が一番、避けてきた苦手な世界なのです。しかし、韓国のサムスンはすでに実行しています。サムスンでは、韓国人社員が中心となって、皆で現地に行き、現地の人材を活用しながら、その市場で求められるものを開発、販売しています。特に新興国での事業拡大のために、その地域の文化・習慣を身にっけるまで理解させる「地域専門家」を育成しています。新興国の国別’地域別商品こそ、マーケティング機能、開発機能を、これまで以上に「現地最寄り化」していくことが必要です。
あらゆる業種が「新興国」と「環境」で事業を発展させようとしています。当社は遅まきながらブラジルに出て、トルコ、インドネシアも視野に入れています。この辺りでは、高級機、高機能、高付加価値、高いコストで売るビジネスは絶対に成立しません。新興国の時代が来たのです。中間所得層に見合う商品を常に開発し、ボリュームゾーンで稼ぐためにどうしたらいいかを考えています。簡単に新興国、アジアと言いますが、開発拠点をどうするかという問題もあります。アジア、新興国といっても、シンガポール、韓国、台湾から、ミャンマー、カンボジアまであります。シンガポールは人口470万人、中国は13億人、インドは10億人。習慣、歴史、生活様式が違います。その人たちに、カスタマー・イン、好みの商品をローコストで作っていきます。
そうしないと絶対に勝てません。当社が一番、避けてきた苦手な世界なのです。しかし、韓国のサムスンはすでに実行しています。サムスンでは、韓国人社員が中心となって、皆で現地に行き、現地の人材を活用しながら、その市場で求められるものを開発、販売しています。特に新興国での事業拡大のために、その地域の文化・習慣を身にっけるまで理解させる「地域専門家」を育成しています。新興国の国別’地域別商品こそ、マーケティング機能、開発機能を、これまで以上に「現地最寄り化」していくことが必要です。
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