優れた戦略家を外国人に頼るのではなく、自前で養成する段になると、とたんに日本人は「もろさ」を露呈する。外交官の松岡洋右や軍人の石原莞爾や東條英機はその理念型である。
松岡洋右は当人は英米、ドイツ、ソ連を向こうに回して、壮大な戦略を描いたつもりになってはいたが、実際にはヒトラーやスターリンの手の内で踊っていたことは明らかで、松岡自身ドイツとの同盟を悔いながら人生を終えている。
昭和の日本の陸海軍軍人の思考の固さも同様で、日本の文明は自前では戦略家を育てることが苦手なのである。これは今日の政治家や高級官僚も同様で、ソニーやトヨタといった一部の国際的企業のトップを除けば、戦略家はわが国では皆無に等しいのである。
むろん、松岡洋右をはじめとして戦前戦後の外交官やエリート軍人、高級官僚はすべてアメリカやヨーロッパに留学経験があるにもかかわらずそうなのである。これは裏返すと、日本の無常感文明の持つ「慣性の法則」がどれほど強いかを示している。「慣性の法則」によって、思考の柔軟性が失われ、思考がステレオタイプ化するのである。
エリート官僚が西欧でいかに優れた戦略思考を学んできても、日本の官僚組織の持つ「過去の反復」という強烈な「慣性の法則」がたちどころにそれを無化するのである。政治家は、村落共同体的な義理人情や談合や「足して二で割る」調整を嫌い、西欧的な合理主義と戦略思考に徹する人ほど選挙民に嫌われて落選するのである。
日本の歴史を見ると、文字通り存亡がかかる乱世においてさえ、源義経や織田信長のような革命的な戦略家が生まれても、それを周囲が妬んだり、部下がついてゆけなくなって離反したりするのである。平時はなおさらで、優れた戦略家を育てる精神的土壌を教育機関も官僚組織も選挙民も持たないので、日本では国際的企業の一部にしか戦略家はいないのである。
2016年1月6日水曜日
2015年12月3日木曜日
東アジア低賃金の考察
もともと大型コンピュータの機能があまりに広く高くなりすぎたので、性能が向上したパソコンがその機能の一部を奪い取り、インターネット端末としての黄金時代をきずいた。これが当時ダウンサイジングと言われた。しかし、パソコンの機能もまたあまりに広く高くなりすぎた。簡単な情報を知ったり知らせたりするだけでよい場合には、その機能の大部分は使われず、パソコンは、かつての大型コンピュータと同じく、いちじるしく不経済である。パソコンもまたダウンサイジングの標的とされたと言うべきであろう。
アメリカの経済誌ビジネスウイークは、その二〇〇〇年一月一〇日号で、一モード携帯電話を高く評価し、ドコモの荒川実社長を、世界の最もすぐれた経営者二五人の一人として選んだ。インテルの全盛時代が、近く終わる可能性も考えられよう。円高が日本企業を東アジアに押しやった
東アジアの賃金は、日本にくらべて格段に安い。日本貿易振興会(ジェトロ)が一九九五年に調査したところでは、一般工員の月額賃金はシンガポールで八三〇~一一五〇ドル、クアラルンプールが一九〇~二四〇ドル、バンコクが一六〇~三一〇ドル、ジャカルタが一〇〇~二〇〇ドル、マニラが一ハ○~二二〇ドル、上海が六〇~一三〇ドルであった。日本のそれが全国平均で三一一六ドルであるから、この賃金格差が日本の企業にとって、東アジアに進出するモチベーションになっていることは言うまでもない。
しかし一九九〇年代に入って、もう一つのさらに強烈なモチベーションが生じた。それは一九九〇年には一五〇円前後と円安に転じていた円レートが、九一年には飛躍し、それからは一本調子に円高となって、九五年にはついに一時七九円台を記録したことである。とりわけ日本の電子機械工業は、アジアへと生産拠点を本格的に移動せざるを得なくなった。
一九九三年度の日本の製造業のアジア向け投資は、前年比一七・九%増、三六億五九〇〇万ドルとなり、前年比〇・七%減、四一億四六〇〇万ドルの北米向け投資額に迫る勢いとなった。中国への投資でも、一九八九年には世界各国の対中総投資額のわずか一二二%であったものが、九三年度には、二「四%へと激増したのであった。
アメリカの経済誌ビジネスウイークは、その二〇〇〇年一月一〇日号で、一モード携帯電話を高く評価し、ドコモの荒川実社長を、世界の最もすぐれた経営者二五人の一人として選んだ。インテルの全盛時代が、近く終わる可能性も考えられよう。円高が日本企業を東アジアに押しやった
東アジアの賃金は、日本にくらべて格段に安い。日本貿易振興会(ジェトロ)が一九九五年に調査したところでは、一般工員の月額賃金はシンガポールで八三〇~一一五〇ドル、クアラルンプールが一九〇~二四〇ドル、バンコクが一六〇~三一〇ドル、ジャカルタが一〇〇~二〇〇ドル、マニラが一ハ○~二二〇ドル、上海が六〇~一三〇ドルであった。日本のそれが全国平均で三一一六ドルであるから、この賃金格差が日本の企業にとって、東アジアに進出するモチベーションになっていることは言うまでもない。
しかし一九九〇年代に入って、もう一つのさらに強烈なモチベーションが生じた。それは一九九〇年には一五〇円前後と円安に転じていた円レートが、九一年には飛躍し、それからは一本調子に円高となって、九五年にはついに一時七九円台を記録したことである。とりわけ日本の電子機械工業は、アジアへと生産拠点を本格的に移動せざるを得なくなった。
一九九三年度の日本の製造業のアジア向け投資は、前年比一七・九%増、三六億五九〇〇万ドルとなり、前年比〇・七%減、四一億四六〇〇万ドルの北米向け投資額に迫る勢いとなった。中国への投資でも、一九八九年には世界各国の対中総投資額のわずか一二二%であったものが、九三年度には、二「四%へと激増したのであった。
2015年11月4日水曜日
金属需要の落ち込み
マツダはロシアへの自動車輸出を本格的に再開した。日本で6月に発売した主力の中型車「アクセラ」の新モデルの販売を、ロシアでこのほど開始。ロシア向け輸出は経済危機を受けて2008年12月に停止したが、今後は継続的に月間1000台程度の輸出を続ける。ロシア経済は資源価格下落の影響で低迷が続いているが、マツダは中長期的には潜在需要が大きいとみている。
マツダはロシア政府による輸入関税の引き上げや景気後退を受け、2008年12月に同国向け輸出を停止した。09年に入ってからも小規模の輸出にとどめていた。17日発売の米経済誌フォーブス・ロシア版で、世界金融危機下でのロシア富豪の衰退ぶりが浮かび上がった。資産10億ドル(約1千億円)以上の富豪数が08年は87人と米国に次ぐ世界第2位まで躍進したが、今年は32人に激減。番付上位100人の資産総額も昨年の5220億ドル(約52兆円)から7割減の1420億ドル(約14兆円)まで下がった。
昨年はロシアの1位で世界でも9位だった「世界のアルミ王」の異名をとるデリパスカ氏。株価急落などで資産は昨年の280億ドルから35億ドルに激減、ロシア国内での順位は10位に、世界では164位に後退した。世界金融危機による金属需要の落ち込みや原油価格下落などが、資源依存型のロシアに深い影響を及ぼしている。
マツダはロシア政府による輸入関税の引き上げや景気後退を受け、2008年12月に同国向け輸出を停止した。09年に入ってからも小規模の輸出にとどめていた。17日発売の米経済誌フォーブス・ロシア版で、世界金融危機下でのロシア富豪の衰退ぶりが浮かび上がった。資産10億ドル(約1千億円)以上の富豪数が08年は87人と米国に次ぐ世界第2位まで躍進したが、今年は32人に激減。番付上位100人の資産総額も昨年の5220億ドル(約52兆円)から7割減の1420億ドル(約14兆円)まで下がった。
昨年はロシアの1位で世界でも9位だった「世界のアルミ王」の異名をとるデリパスカ氏。株価急落などで資産は昨年の280億ドルから35億ドルに激減、ロシア国内での順位は10位に、世界では164位に後退した。世界金融危機による金属需要の落ち込みや原油価格下落などが、資源依存型のロシアに深い影響を及ぼしている。
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