コンピュータ通信の普及によって、情報を扱う産業は、大きな変革を要求される。流通サービス業は、そのような影響が最も端的に現われる分野の一つだ。多くの企業が、インターネットに新しいビジネスの可能性を見出そうとしている。この分野では、適切な条件が整備されれば、爆発的な進歩があるだろう。
また、ネットワーク化の進展が規制を無意味にする可能性もある。インターネットで国境をこえる取引が増大すると、経済活動に関する国内の規制で無意味になるものも出てくる。これは、従来は規制で守られてきた産業に対して大きな影響を与える可能性がある。日本経済の高コスト構造を変化させるきっかけも、ここに見出せるかもしれない。
つまり、問題は、技術的な可能性の拡大に経済的社会的な要因が対応できるかどうかなのである。変化に対応できれば大きな将来が拓けるだろう。逆に対応ができなければ、日本は世界の潮流に取り残されるだろう。日本がそのどちらに向かうか?これが二一世紀の日本の姿を決めることになる。
将来人口の推計は、さまざまな政策の基礎となる非常に重要なデータである。これから数十年間の日本では、急速な高齢化が進むために、とくに重要な意味をもっている。厚生省の社会保障・人口問題研究所は、一九九七年九月に新しい将来人口推計を発表した。それによると、前回の推計(九二年推計)に比べて、人口高齢化がさらに進むという結果になっている。
六五歳以上人口が全人口に占める比率は、二〇〇六年に二〇%を突破し、二〇一五年に二五・二%、二〇四九年にはピークの三二・三%にまで上昇すると予測されている。推計見直しのポイントは、合計特殊出生率(一人の女性が一生の間に産む子供の数)の見直しである。九二年に行なわれた前回推計では、合計特殊出生率が九四年に一・四九まで下がったあと上昇に転じ、二〇二五年には一・八〇にまで回復するとしていた。しかし実際は九五年に一・四二まで下がり、回復していない。今回の推計では、二〇〇〇年に一・三八まで下がるが、その後は上昇して二〇二五年には一・六一まで回復すると仮定している。
2015年8月4日火曜日
円高不況の克服
図は乗用車のモデル数、販売台数、売上高に占める原材料費の比率、これらの推移を示している。モデル数は八二年から九一年までに約一・七倍、円高不況期以降でみれば約四倍に増加した。しかしモデル数が増加するにつれて一モデルあたりの販売台数は減少し。少し遅れて総販売台数も減少していく。それとともに、売上高原材料費比率も急速に上昇している。原材料費という変動費が増大しただけではない。「国内販売の増強に向けて販売網を拡充したこともコストアップに繋がっている」。ディーラー数、営業所数の増加、広告宣伝費の増大によって販売関連費は八六年から八九年にかけて二・〇%も固定費を押し上げた(三菱銀行『調査』四五五号)。
そして一方では新製品開発のため九・〇%にまで下落した設備投資を増大させているのであるから、これらの結果、資本収益率(ここでは営業利益額/有形固定資産額)も大幅に減少することになる。自動車一〇社の資本収益率は、八一年から八五年までの五年間では、年平均二六・八%であったが、八六年から九〇年までの五年間では、平均一日本企業を強気にさせた金融バブル 自動車産業にみるこうした姿は多かれ少なかれ他産業にもあてはまる。つまり、国内需要掘り起こしのための多品種戦略は、高コスト体質を深めながら、無理をおして展開されたのであった。
しかしこうした「犠牲」においてであるとはいえ、多品種戦略はそれなりに効果を現した。円高不況を境に自動車の販売台数では内需が外需を追い越し、内需主導が定着した。経済全体としても「内需主導型」が一応実現した。また耐久消費財で大型化・高級化が進み、購入単価はとくに八七年以降大きく上昇した。
さらに、多品種化とは異なるME技術等ハイテク技術の利用も新しい市場を創り出した。その代表的な事例は、VTR、ワープロ、ファクシミリ、ビデオカメラなどの、ハイテク機能を駆使したまったく新しい家電製品の登場である。これらの商品は、先の高級品化とは異なり、技術の急速な進歩と量産効果によって価格が低下するにつれて、八〇年代後半に広く普及していった。
だが内需の「再生」が一応果たされたとはいえ、多品種戦略の本来的弱点である高コスト体質がかくも急速に深まるなかで、日本企業はなぜ強気の設備投資を繰り返し、この戦略を推し進めることができたのであろうか。その答えこそ金融バブルにほかならない。
そして一方では新製品開発のため九・〇%にまで下落した設備投資を増大させているのであるから、これらの結果、資本収益率(ここでは営業利益額/有形固定資産額)も大幅に減少することになる。自動車一〇社の資本収益率は、八一年から八五年までの五年間では、年平均二六・八%であったが、八六年から九〇年までの五年間では、平均一日本企業を強気にさせた金融バブル 自動車産業にみるこうした姿は多かれ少なかれ他産業にもあてはまる。つまり、国内需要掘り起こしのための多品種戦略は、高コスト体質を深めながら、無理をおして展開されたのであった。
しかしこうした「犠牲」においてであるとはいえ、多品種戦略はそれなりに効果を現した。円高不況を境に自動車の販売台数では内需が外需を追い越し、内需主導が定着した。経済全体としても「内需主導型」が一応実現した。また耐久消費財で大型化・高級化が進み、購入単価はとくに八七年以降大きく上昇した。
さらに、多品種化とは異なるME技術等ハイテク技術の利用も新しい市場を創り出した。その代表的な事例は、VTR、ワープロ、ファクシミリ、ビデオカメラなどの、ハイテク機能を駆使したまったく新しい家電製品の登場である。これらの商品は、先の高級品化とは異なり、技術の急速な進歩と量産効果によって価格が低下するにつれて、八〇年代後半に広く普及していった。
だが内需の「再生」が一応果たされたとはいえ、多品種戦略の本来的弱点である高コスト体質がかくも急速に深まるなかで、日本企業はなぜ強気の設備投資を繰り返し、この戦略を推し進めることができたのであろうか。その答えこそ金融バブルにほかならない。
2015年7月3日金曜日
監視下の組合選挙
入社から二年ほどして、組合批判の発言をしたところ、夜勤からはずされてしまった。そればかりでなく、同期に入社した労働者とくらべて、昇給が不当に差別されているので、所属課長に抗議した。「組合に批判的だからといって、昇給で差別するのは、不当労働行為ですよ」課長は、こう答えたのだった。「不当労働行為? 笑わすんじゃないよ。おまえなあ、いまの日産ディーゼルがあるのは、誰のおかげだと思ってるんだ。労働組合のおかげじゃないか。その労働組合に反対する奴の給料が安くったってあたりまえだろう。労働組合のおかげで、会社のいまの発展があるんだからな」嘉山さんの賃金(一九八二年当時)は、つぎのようなものである。
基準賃金のうち、退職金などの算定基準となる基本給が一七パーセント程度しかなく、第二基本給というべき「特別手当」が七三パーセントもの比重を占めているのが、日産型賃金の特徴である。資格手当の基準となる職級は、組合に協力的でなければあがらない。夜勤も会社(組合)に協力的なものの権利である。残業、休出がなければ、彼らのような悲惨ともいえる賃金になる。基本給でさえ査定される。平均一万三〇〇〇円の賃上げのときでも、リンチにくわわったものは、一万七〇〇〇円ほどにハネ上がる。
嘉山さんが、公然と組合に反対したのは、一九七四年の賃闘のときからである。このときは妥結額をめぐって、職場に不満がくすぶっていた。それまでは、満額回答で、労使協調のうるわしさがそこなわれることもなかったのだが、前年の暮から、オイルショックとなり、不況に突入していた。反対の挙手をすると、まわりから罵声がとんだ。「てめえ、反対しやかって」「馬鹿やろう、なめるんじゃねえよ」「反対なら、てめえひとりでやってみろよ」彼がはなすのをさえぎって、本当にそういったんですか、とわたしはたずねた。信じられない言葉だからである。彼は、「そうですよ、いつもそうですよ」と軽く答えた。それでも信じられない話である。わたしの知っているトヨタの労働者たちは、もうすこしおとなしかったからである。一定の条件のもとでは、やはり彼らもまたこのような、露悪家になるのだろうか。
何日かたって、彼を除いた職場の同僚たちは残業のあと、「職場を明るくするため」の研修をうけるようになった。「嘉山は赤軍派だから口をきくな」「飯を一緒に食うな」。そんな教育がはじまった。村八分である。それでも、職場からの批判派として、東さんや小宮さんが出現し、三人は連絡をとりあうようになった。職場会で、「質問はありませんか」と組合役貝がおざなりにたずねると、嘉山さんは、「ハイ、ハイ」とまっ先に手をあげ、指名されるまでもなくたちあがってしゃべりだす。労働者たちは、口にだして同調することはないにせよ、職場に帰ってくると、手を振ったり、片目をつぶってみせたりする。不満がたかまっていたので、彼の発言は支持されていたのである。だからこそ、みせしめのためのリンチがはじまったのである。
日産の労務管理を特徴づけているのは、日産労組の存在である。毎年八月末には、第二組合を旗あげした「ゆかりの地」、浅草国際劇場で記念総会がひらかれる。塩路自動車労連会長が演説し、組合長が演説し、社長が挨拶する。八二年の「総会宣言」でも、やはり労使協調が強調された。「日産労組は、二十八年前、他に先がけて労使協議制度をとり入れ、技術革新への対応をはじめ、生産性の問題に取り組み、今日の日産ひいては自動車産業の発展をもたらした……」
基準賃金のうち、退職金などの算定基準となる基本給が一七パーセント程度しかなく、第二基本給というべき「特別手当」が七三パーセントもの比重を占めているのが、日産型賃金の特徴である。資格手当の基準となる職級は、組合に協力的でなければあがらない。夜勤も会社(組合)に協力的なものの権利である。残業、休出がなければ、彼らのような悲惨ともいえる賃金になる。基本給でさえ査定される。平均一万三〇〇〇円の賃上げのときでも、リンチにくわわったものは、一万七〇〇〇円ほどにハネ上がる。
嘉山さんが、公然と組合に反対したのは、一九七四年の賃闘のときからである。このときは妥結額をめぐって、職場に不満がくすぶっていた。それまでは、満額回答で、労使協調のうるわしさがそこなわれることもなかったのだが、前年の暮から、オイルショックとなり、不況に突入していた。反対の挙手をすると、まわりから罵声がとんだ。「てめえ、反対しやかって」「馬鹿やろう、なめるんじゃねえよ」「反対なら、てめえひとりでやってみろよ」彼がはなすのをさえぎって、本当にそういったんですか、とわたしはたずねた。信じられない言葉だからである。彼は、「そうですよ、いつもそうですよ」と軽く答えた。それでも信じられない話である。わたしの知っているトヨタの労働者たちは、もうすこしおとなしかったからである。一定の条件のもとでは、やはり彼らもまたこのような、露悪家になるのだろうか。
何日かたって、彼を除いた職場の同僚たちは残業のあと、「職場を明るくするため」の研修をうけるようになった。「嘉山は赤軍派だから口をきくな」「飯を一緒に食うな」。そんな教育がはじまった。村八分である。それでも、職場からの批判派として、東さんや小宮さんが出現し、三人は連絡をとりあうようになった。職場会で、「質問はありませんか」と組合役貝がおざなりにたずねると、嘉山さんは、「ハイ、ハイ」とまっ先に手をあげ、指名されるまでもなくたちあがってしゃべりだす。労働者たちは、口にだして同調することはないにせよ、職場に帰ってくると、手を振ったり、片目をつぶってみせたりする。不満がたかまっていたので、彼の発言は支持されていたのである。だからこそ、みせしめのためのリンチがはじまったのである。
日産の労務管理を特徴づけているのは、日産労組の存在である。毎年八月末には、第二組合を旗あげした「ゆかりの地」、浅草国際劇場で記念総会がひらかれる。塩路自動車労連会長が演説し、組合長が演説し、社長が挨拶する。八二年の「総会宣言」でも、やはり労使協調が強調された。「日産労組は、二十八年前、他に先がけて労使協議制度をとり入れ、技術革新への対応をはじめ、生産性の問題に取り組み、今日の日産ひいては自動車産業の発展をもたらした……」
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